日大三高小倉

小倉全由監督について

小倉全由監督のプロフィールとキャリア

小倉全由さんとは、日大三高校の野球部で長らく監督を務めてきたすごい人です。

65歳の定年を迎えて、2023年3月に監督を退任したことで話題になりました。

監督として38年間も活躍してきた小倉監督は、夏の甲子園大会で2度も全国制覇を成し遂げるなど、その手腕が全国に知られています。

日大三高の野球部を指導してきた小倉監督は、野球界での名伯楽として知られています。

その指導の下で、多くの優れた選手が育ち、山崎福也(オリックス)や高山俊(阪神)など、プロ野球選手になった生徒もいます。

また、小倉監督自身も日大三高の出身で、学生時代は内野手としてプレイしていました。

しかし、レギュラーにはなれず、補欠選手でした。それでも、彼は自身の野球経験を生かして、後の監督人生を支える土台を作っていきました。

小倉全由監督の指導スタイルと影響

小倉監督の指導スタイルは、選手たちの成長と野球部の成功に大きく寄与しました。彼の名言や教えは、選手たちに深く影響を与え、野球スキルだけでなく人間としての成長にも繋がっていました。

小倉監督の指導スタイルの一つに、厳しさと優しさを兼ね備えたものがあります。

一方で、選手たちに対して厳しい指導を行い、一方で、選手一人ひとりの成長を見守り、必要なときには優しさも見せてくれました。

これは、選手たちに対して真剣に取り組んでいることを示すものであり、それが選手たちの信頼と尊敬を勝ち取る一因となりました。

また、小倉監督は選手たちが困難を乗り越えて成長することを重視していました。

日大三高での勇退とその理由

小倉全由監督が日大三高野球部から退任した理由は定年退職によるものであると報道されています。

退任は65歳での定年を迎えた2023年3月末に行われました。後任の監督は三木有造部長とされています

退任の理由について「ひざやひじを手術し、ノックで思うように打てなくなった。ベンチに座っているだけでもいいという人もいたが、自分の中ではできないと思った」と語った。

小倉全由監督の功績

小倉全由監督は日大三高野球部の監督として長年にわたり活躍し、その間に数々の功績を達成しました。以下にいくつかの主要な達成事項を挙げてみましょう:

  1. 甲子園での2度の優勝: 小倉監督は高校野球の最も重要な大会である夏の甲子園で日大三高を2度優勝に導きました。
  2. 38年間の采配: 小倉監督は日大三高野球部の監督として38年間活動しました。
  3. プロ野球選手の育成: 小倉監督はプロ野球選手を数多く育成しました。その中には山崎福也(オリックス)、高山俊(阪神)などがいます。

これらの功績は、小倉監督が優れた指導者であり、日本の高校野球界に大きな影響を与えたことを示しています。

また、彼の指導が数多くの選手の野球生涯に影響を与えたことは間違いありません。

小倉全由監督の退任後の監督は誰?

小倉監督の勇退後に日大三高の監督を任されたのは元部長を務めていた三木有造さんです。
学生コーチコーチ部長として長年、小倉監督を支えてきました。

三木有造の基本情報

氏名:三木有造(みき ゆうぞう)
誕生日:1974年5月23日
出生地:和歌山県海南市
学歴:日大三中学校→日大三高校→東洋大学

三木有造の選手時代の経歴

三木有造氏は和歌山県海南市に生まれ、中学から日大三高校の系列校に進学しました。

彼が日大三高校を選んだ理由は、小学生の頃に甲子園に出場した兄の友人の兄から「甲子園を目指すなら、日大三でやったほうがいい」とアドバイスを受けたからだと言われています。

父親が東京で単身赴任していたこともあり、母親と共に上京しました。

彼のポジションはキャッチャーで、3年生の時には正捕手としてチームの副主将を務めましたが、甲子園出場の経験はありませんでした。

高校卒業後、東洋大学に進学しましたが、肩の怪我の影響でリーグ戦に出場することはありませんでした。

しかし、大学時代に後輩へのアドバイスを送るなどの経験を通じて、指導者としての道を考えるようになりました。

三木有造の指導者としての道のり

大学4年生の時に教員の免許を取得するために科目履修生として大学に残り、その年に小倉監督が関東第一高校から日大三高校に移ると、学生コーチとして練習を手伝うように頼まれました。

科目履修生の期間が終わった1999年には、日大三高校の事務職員として採用され、正式にコーチになりました。

2002年からは倫理の非常勤講師を務め、2011年4月からは専任教諭となりました。

同年5月には野球部の部長に就任し、その夏には吉永健太郎投手(元JR東日本)、髙山俊選手(現阪神)、横尾俊建選手(現東北楽天)らを率いて甲子園優勝を果たしました。