プロ野球で背番号1が象徴するもの
プロ野球において、背番号1は特別な意味を持っています。この数字は、エースピッチャーやチームの顔となる選手に与えられることが多いのです。
さらに、背番号1を背負う選手は、リーダーシップやチームの精神的支柱であることが期待されます。
以下に、背番号1が象徴する要素を箇条書きでご紹介します。
エースピッチャー
チームの顔
リーダーシップ
精神的支柱
背番号1の歴史と変遷
背番号1の歴史は古く、プロ野球が誕生した当初から存在しています。
当初は選手のポジションやチーム内での序列によって番号が振られていましたが、やがて特定の選手に背番号1が与えられるようになりました。
数々の球団で背番号1がエースピッチャーやチームの顔となる選手に与えられるようになりました。
そして、近年では、多くのチームが若手選手やドラフト1位選手に背番号1を与えることで、その選手に期待をかけていることがわかります。
背番号1は、今や「期待の星」とも呼ばれる存在となっています。
このように、背番号1の歴史は時代と共に変遷し、現在ではチームのエースや将来のスター候補に与えられる重要な数字となっています。
選手たちは、背番号1を背負うことで、チームに対する責任感や自己の成長を追求しています。
永久欠番になった背番号1の選手
プロ野球界には、数多くの名選手が背番号1を背負って活躍してきました。
その中から、特に印象に残る選手たちをピックアップし、その活躍について紹介していきます。
王貞治(読売ジャイアンツ)
引用:野球殿堂博物館
プロ野球界において、背番号「1」の象徴的存在といえば、巨人に所属し活躍した王貞治選手が思い浮かびます。
彼はかつて早稲田実業のエースとして甲子園で輝かしい成績を残し、1959年に巨人へ入団しました。
王貞治選手の名前は中国語で「ワン」と読むことから、背番号が「1」に決定したとされています。
デビュー当初、26打席続けてヒットが出ず苦戦しましたが、27打席目に放った初ヒットが本塁打となりました。
それでも初年度は目立った実績を残せず、打率.161、7本塁打に留まりました。
彼が脚光を浴びるのは4年目からで、荒川博コーチと一緒に猛特訓した一本足打法を身につけ、通算868本塁打を記録しました。
1977年にはハンク・アーロンを上回る756号の「世界記録」が認定され、国民栄誉賞を受けました。
そして1989年、巨人では6人目となる永久欠番が贈られました。王以降、巨人で永久欠番になる選手は現れていません。
1959年のプロデビューから、監督退任となる1989年までの30年間、王貞治選手は背番号「1」を背負い続けました。
これは山本昌投手が樹立した32年間の連続着用記録に次ぐ、歴代2位の快挙です。
彼は巨人監督を退任後、1995年に福岡ダイエーホークス(現ソフトバンク)の指揮官に就任しましたが、その際には背番号「1」ではなく、「89」を選んでいます。
鈴木啓示(近鉄バファローズ)
引用:デイリー
近鉄バファローズで20年間プレーし、通算317勝を挙げた鈴木啓示選手は、プロ野球史上わずか4人目の300勝を達成した投手です。
彼以降、300勝を果たした投手はいないため、最後の300勝投手と言われています。
彼は現役時代、入団から引退まで背番号「1」をつけ続けましたが、後に近鉄の監督に就任した際には、
「1」ではなく、「70を選びました。
2004年に球界再編問題が発生し、近鉄が消滅する際、鈴木選手の背番号「1」はパ・リーグで唯一の永久欠番となっていました。
※その後、新球団として東北楽天ゴールデンイーグルスが加わり、背番号「10」がファンのための番号としてパ・リーグで2番目の永久欠番となりました。
さらに、2018年には星野仙一監督の背番号「77」も永久欠番に指定されました。また、西武は、かつて西鉄時代のエースだった稲尾和久選手の背番号「24」を、2012年に永久欠番としました。
ただし、1985年に引退した鈴木選手の永久欠番は、合併後のオリックス・バファローズでは永久欠番とは認められていません。
2005年に後藤光尊選手が背番号「1」を着用し、その後、コリンズ監督や再び後藤選手、ベタンコート選手などに引き継がれ、現在は福田周平選手が着用しています。
プロ野球の捕手で背番1は誰?
1989年にドラフト1位で大洋に入団した谷繁元信選手は、新人ながらも捕手としては珍しい背番号1を着用しました。
これは、14年間背番号1をつけた名遊撃手・山下大輔が前年引退したため、彼から受け継いだ形です。しかし、横浜時代の93年から背番号は8に変更されました。
これは、15年間背番号1をつけていた近藤昭仁監督が、「プロテクターをしていると背番号が見えなくなるため、変更した方が良い」とアドバイスしたからだと言われています。
引用: オークフリー
背番号1の重圧
背番号1をつけて成功を収めた選手たちもいれば、「王2世」と呼ばれた奥柿幸雄(サンケイ・ヤクルト)や、1983年中日ドラフト1位の藤王康晴のように、背番号1の重圧に苦しんだ選手も存在します。
ヤクルトでは、奥柿以降、新人選手が背番号1を着用することはなくなり、若松勉、池山隆寛、岩村明憲、青木宣親、山田哲人など、「ミスタースワローズ」に相応しい実績を残す選手に背番号1が与えられるようになりました。
中日では、1999年に入団したドラフト1位の福留孝介選手が、「自分にとって特別な番号」という背番号1を引き継ぎ、2002年と2006年に首位打者に輝くなど、チームの主力選手として成長しました。
入団4年目から20年間背番号1をつけた高木守道選手と共に、中日の象徴的な「ナンバーワン」選手となりました。
プロ野球現役選手の背番号「1」
セ・リーグ
・ヤクルト:山田哲人内野手
・DeNA:桑原将志外野手
・阪神:森下 翔太外野手
・巨人:永久欠番(王貞治)
・広島:不在
・中日:不在
パ・リーグ
・オリックス:福田周平外野手
・ソフトバンク:風間球打投手
・西武:栗山巧外野手
・楽天:松井裕樹投手
・ロッテ:藤原恭大外野手
・日本ハム:新庄剛志監督